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航星日誌

ブームの名残りで90年代末期はV系関連の月刊誌が未だ複数出版されていた。
その中の確かFという雑誌には毎号各専門店がお勧めするCDが3枚掲載されていたのだが
Oのコーナーは実は僕が書いていて、大抵月初めにお店に行くと店長のSさんから
「Fから原稿依頼来てるから今月も頼むね」とFAX用紙を渡されるのが習慣になっていた。
お店で扱う新譜なら何でもいいというのが条件だったからかなり個人的な趣味に走った。
他店はいわゆる知名度の高いアーティストの新譜を載せていたが(店頭イベントを行うとか
政治的な思惑もあると思うが)Oに関してはそういう大人のしがらみが一切なかった。
なのでグルグル映畫館の1stCD『何処の青さに君、負けた。』も選抜した。
あのCDは他店が10枚ほどだったことに対してOだけが200枚近くオーダーを出して
メンバーが驚いた経緯がある、僕の推薦もあったがSさんの先見は流石だと思った。
そして僕に原稿を書かせると言うのもSさんのロックなエピソードを感じさせる話だ。
Sさんは決して愛想がいいタイプではなくどちらかというと怖いイメージの店員さんで
あったが何年も通っているうちに僕の趣味を覚えてくれて「こんなの入ったよ」とか
「今度こういうのが入るよ」とか話しかけてきてくれるようになった。
Sさんには色んな話を聞かせてもらってオフレコな内容でも結構話してくれた。
そのうち閉店時間までいて、その後Sさんと食事にも行くようになった。
ベロベロに酔った時はお店のすぐ近くのSさんの家にも泊めてもらった。
Sさんには本当に感謝しているし優しいお兄さんみたいな、そんな感覚だった。
だからOの閉店の話を聞いた時はとてもショックだったし、とても寂しかった。
初めてOに行った時はとても緊張した、雑居ビルの2階にあって店内はとても狭く
盗難防止のシステムもなかった時代なので常に店員さんに動向を見られてるようで
ドキドキしながらCDを選んでいた記憶があるし、Oの壁には万引き犯の名前と
学校名がでかでかと張り出されていて、それも緊張に輪をかけていた。
その張り紙は結局閉店まで貼ってあったがSさんに「いい加減剥がさないんですか」と
聞いたら「まあめんどくせえしな、前の店長の時代に貼ったものなんだよ」と言ってた。
閉店する頃には色々非売品のグッズや余ったCDやデモテープをたくさん頂いたのだが
一番嬉しかったのは1枚の写真だった、それはOが以前雑誌の取材を受けた時に
お店の外観を雑誌社に同行したプロのカメラマンが撮影した写真だった。
何度も見上げた看板が写っているその写真は今でも僕の宝物の一つだ。
その写真を見るたびにSさんとの楽しい日々の記憶が蘇る。
Sさんはあまり感情を出さない人だったが一度バンドマン数人と僕と飲んでた時に
とても酔ったSさんはそのバンドマン達に向かって僕のことを「こいつはなあ、すごい
いいやつなんだよ、ほんとにいいやつなんだよ」って紹介してくれたのが嬉しかった。
Sさんとは今は残念ながら連絡が取れない状態にあるが、いつかまた僕の携帯に
電話をしてきて「おっ、飲み行こうぜ」って言ってくれるのをずっと待っている。
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航星日誌

コレクションを埋めるために未所持CDを膨大に乗せたリストをiCloudで同期してMacと
iPhoneに入れており、リストの追記や削除はMacで行なって外出先ではiPhoneで閲覧。
アナログ時代は紙にリストを書いていたのだから随分時代は変わったし便利にもなった。
まだまだリストにはCDがずらーっと書いてあるが欲しい意欲がなくなってしまっている。
以前は何としてもコレクションをコンプリートさせなければっていう使命感に取り憑かれて
いた部分もあったが今やCDを買う気持ちさえ風前の灯火で別になくても気にならない。
どうしてこんなに気力を失くしてしまったのだろう?いや自分では理由をわかっているが。
一つでなく複合的であったり悪いタイミングが重なってしまったので精神的ダメージが大きい。
コレクションをやめようとしたことは過去30年で記憶する限りではなかった、周りの人たちが
聞くのをやめても自分だけは聞いていようと意地にもなっていたと思うしライフワークだった。
だから今の心境は自分でも意外であるし自分でもショックだし、言いようがない気持ちだ。
1枚1枚大切にしてきたし手に入る度に子供のように喜んでいた、たくさんのCDを買って
大変な思いをして持ち帰るのも全く苦でなかったし、むしろ満たされる喜びが強かった。
もうあの頃の僕はいない、何ヶ月も間、特定の音楽を自ら遠ざけて聞くことすらしてない。
買うだけ買って後は放置、まあ額はたいしたことないし何となくストレス解消で購入してる。
それすらいつか終わりは来るだろう、悲壮感に満ちたブログだがこれもまた人生だと思う。
いつか更新が止んで、このままこのブログはネット上に漂い続けるのかな。
恐らく削除したりはしないと思うが僕が見返すこともなくなるだろう、誰かが検索で
辿り着いて「こんなにCDを買ってた人もいるんだ」と呆れてくれたら、それでいい。
こういうブログは珍しいだろうし、そういう意味では資料的な価値もあると思う。
CDそのものも世の中から消えていくだろうし僕のようにこんな風にCDをたくさん
買えることもなくなりつつある、こんな時代もあったんだよっていう証明になるかな。
ワクワクしながらお店に通ったこと、誰かと一緒にライブやお店に行って喜びあったこと、
CDを手に取るリアル感、ジャケットや歌詞カードを見ながら音楽性に思いを馳せた帰り道。
そういう楽しみがなくなる世の中は寂しい、このブログを書き始めた当初は想像もしなかった。
好きだったものを失くす切なさ、もう二度とあの輝くような日々は帰らない。

航星日誌

最近所持してるアイテムをオークションサイトで追いかけていたのだが、以下が結果。

『お年玉(95.01.07/姫路文化センター)』MASCHERA 7450円で落札 (1080円)
『今と見える夢を(01.08.25/高田馬場AREA)』orivia 5000円で落札 (540円)
『Image Sonic』V.A. 12150円と7200円で落札 (260円)

()内はPで購入した価格、数字だけ見ると神かがっているとしか思えない。
ほぼ90年代の作品でもこの低価格で買える時代もあったのだ、と言っても数年前だが。
この3点はどれも状態が良かったしPにはそれなりに感謝もしている。
MASCHERAは当時とても好きなバンドでデモテープは公式で通販して購入してた。
その際に熱烈なファンレターを同封したのだがご丁寧に長文の返事が届いて感動した。
その手紙は今もまだ大切に保管しており、とても綺麗な字で書かれている宝物だ。
バンド的にもまだファンが少なかった頃だからそんな風に対応してくれたのだろう。
男性客は珍しいシーンだし音楽で評価してくれたのがとても嬉しかったに違いない。
94年末に発表された1stアルバム『悪徳の栄え』は今も語り継がれる名作で
発売直後にワクワクしながら当時新宿のサブナードにあったTという専門店で
購入した、今のJSの前身に当たる店でファッション関係のお店が整然と
並ぶサブナード内で異彩を放っており、93年末には店頭一面にLaputaの
『奈落の底』が並んでいた光景を思い出すと思わず場違いで吹き出してしまう。
Eと特約していたのか名古屋系バンドの作品の入荷率が高かったのだ。
TのU店長にも大変お世話になった、やっぱり女性客が殆どの中で男性客は
目立つのか、すぐ覚えてくれて「こんなの入ったよ」と教えてくれたりもした。
JS以降はU店長は移動になってしまってお店からいなくなってしまったが
今でもあの笑顔を忘れることはない、まだ僕がCDを集めてると知ったらきっと
驚くだろう、90年代の前半の話だ、特に94年は色々な思い出が詰まっている。
その話の続きはまた次の機会に。

航星日誌

T掲示板の中心人物であったYさんは僕よりもずっと実年齢が若いのにしっかりしていた。
掲示板が荒れないように皆を上手く扇動していたし絶対に偉そうにもしなかった。
その頃のT掲示板の2トップというとYさんと僕であったと思うが掲示板内でも若輩者で
あった僕だったのに親身にしてくれていたOというお店の新譜情報とか独自のルートを
持っていたので地方の人を中心に僕の書き込みを結構情報源として注視していたと思う。
まだ当時は専門店がHPを持つ時代でなかったし情報は足で見つけて来るか雑誌に載っていた
専門店の宣伝ページを見るくらいしかなかったので相当僕の情報書き込みは早かったのだ。
Oの新譜情報以外にもN氏からB店の新譜情報も聞いていたので情報屋みたいな役割だったな。
Yさんは購入したCDの感想をよく掲示板に投稿していたしリクエストも受け付けていた。
そのYさんの文章力は卓越しており僕はどこか彼に嫉妬もしていたと思う、だからこそ
Yさんに負けず劣らずせっせと掲示板によく投稿していたが彼には勝てる気が全然しなかった。
どちらかというと僕は感情的でYさんは理路整然としたタイプで異なる二人の書き込みが
掲示板の中で漂い、それを皆でまたレスし合うという活気溢れる毎日が本当に刺激的で
楽しかった、今とは違って書き込みの通知もなければ古い書き込みは削除されてしまう、
そんなシンプルで儚いシステムであったがT掲示板は他のどこよりも盛り上がっていた。
そういえばMさんという聡明な女性もよく書き込みをしていてYさんと討論していた。
その後Mさんは何故かアスキーアート界に進出してあちこちで名前を見掛けるほど
有名になっていたが同時に匿名掲示板に出入りするようになってYさんを敵視していたのが
残念だったな、お互いのプライドが譲らない事態がそういう結末を招いてしまったんだろう。
どこかにT掲示板のログの一部を印刷した紙が残ってると思うのだがすぐには見つけられない。
いずれ出て来た時には公開してもいいのかなと思う、僕も随分長い間見てなかったし。

航星日誌

2005年の秋、その日は夕方から親族のお祝いの食事会があり、その前の僅かな時間に
当時はビルの5FにあったSに寄って、時間が限られていたのでパーっと棚を目視するも、
なかなか欲しいものがなく適当に数枚を手に取るだけで不完全燃焼であった。
「時間がない時に無理して来てもなあ」と焦り、時計を見るとギリギリだった。
そしてレジに向かう途中に普段なら一切スルーしているグッズ箱が目に入った。
その中にはバッチやステッカーなど雑貨類が乱雑に放り込まれていて、
見るからに寂れた箱であったが、今まで一度も触れなかったことがなかった。
だがその日に限って、何故かその箱に吸い込まれるように手を入れてゴソゴソとしてみた。
その意識ない行動と心境はなんて説明したらいいだろう。
何かを掴んで取り出すと90年代に絶大な人気を誇った某バンドのプロモーションCDSだった。
今ではすっかり見ない8センチのシングルで何度か他店では見たことがあるが
何れも高額で取引されていたコレクター垂涎の貴重なアイテムだ。
我が目を疑い値段を見ると何と税込100円、こんなボロボロの箱の中にこれがあるなんて。
まるで次の持ち主を待っていたかのようにCDがひっそりと箱の中で眠っていた。
状態も超美品、そもそもサンプル盤の類いはこの店で扱っていたのか...。
狐につままれた気分でレジを終えて何度も「これは夢???」と頭が混乱状態のまま
親戚の会合に参加したのだが、CDの方が僕を待っていてくれたとしか思えない。
僕に「大切にしてね」と言わんばかりにそこにいてくれたのだ。

(2018年秋の未投稿ツイートに加筆してブログに掲載)

航星日誌

今は執筆欲があるから結構バーッと勢いで書いて、投稿直前になってキャンセルしてる記事が
実はとても多い、あまりネガティヴな内容を載せることに抵抗があって未公開にしている。
いずれ裏ブログでも作ろうか?鬱積した内容ばかりに特化して書き殴るというか。
いや、そのつもりはないけど、そんなの誰が読んでも面白くないだろうし。
そういえばP氏が運営していたAという総合サイトの中に僕の個人HPへのリンクを隠していた。
あれに気づいた人は一体何人いたんだろう?かなり難解な場所にリンクを貼っていたからなー。
その個人HPで何を載せてたのかはもう忘れてしまった、もう20年近く前だもの。
T掲示板は本当楽しかった、個性的な人たちばかりで中でも鳥取のKさんは群を抜いていた。
マイペースでストレートな物言いをする人で見方によっては苦手な人もいたんだろうけど
僕は結構仲良くしててチャットにも酔っ払って入って来ては言いたい放題言ってる人だった。
Kさんはブートビデオを専門に集めてる人でどこで入手したのか様々なバンドのスタッフ撮りの
映像をたくさん持ってて僕にも色々と見せてくれた、当時はまだビデオの時代だったのだ。
ある日Kさんが「架空のバンドを作り上げて限定数のデモテープを出すって宣伝しようぜ」と
言い出した、話題性のある作品は店頭に通販が殺到して予約完売も珍しくない風潮だった。
僕らはチャットルームでバンド名や作品名をそれっぽく考えて、いかにも存在しそうな
ダーク系バンドを仕立て上げて各種の掲示板に書いて回った、今思えば若気の至りだったが
翻弄された皆さんすいません、ドッキリ企画のつもりだったんで悪気はなかったんです...。
案の定、というか想定外に盛り上がってしまって各店舗に電話の問い合わせが幾つか来たと
ある情報筋から聞いた時は「こんなに簡単にいくものなのか」と驚きとネットの情報一つで
民衆をある程度コントロール出来るのだとそら恐ろしくもなったがKさんと言えばその話を
聞いて「大成功じゃん!ガハハハ!」って大笑いしてるような、そんな豪快な人だった。
その後鳥取で地震の災害があってKさんは引っ越しを余儀なくされて音楽からも遠ざかった。
Kさんにはお見舞いで何枚かのCDと関東でしか手に入らないカップ麺を送った記憶がある。
元気にしているだろうか?ご両親も高齢だったし一人息子だから心中は苦しかったと思う。
ネットは人との出会いが容易ではあるが、その一方で離れるのもあっけない。
僕は知り合った人とは出来る限り連絡を取りたいと思う方だがなかなか理想通りにはいかない。
こうした時にふと思い出すことしか出来ない、でもみんな決して忘れられない人たちだ。

航星日誌

例えば「君は愛すべきバカだね」と言われてどう思うか、僕は褒め言葉と受け取るだろう。
でもtwitterを中心に一文字だけ切り取り「バカとは何事か」と目くじらを立てる人がいる。
世の風潮なのかな?メディアも政治家に向かって一文字だけ取り上げて失言だと騒いでいる。
僕からすると何て読解力のない人なんだろうと呆れるを通り越して反論すら意欲がなくなる。
本一冊読んで全体から読解しろとは言わないが、たかだか文字数が限られるtwitterでさえも
ツイート全体を読んで読解する力がないなら表現者としては失格なんじゃないかと思う。
批評を批判としか受け止められない神経質な性格なら表現者として向いてないとしか言えない。
そういう人たちがごく稀にいるから疲れてしまった、あそこにはもう自由なんてないと悟った。
いちいちエゴサして人に噛み付いて、自分の品格を落としていることに気づかない愚かさ。
器の小ささを露呈してるとしか思えないのだ、そんなの売れるわけがないし恥を晒してるだけ。
文字の切り取りほど下らないと感じるものはない、そういう人種には言葉が通じない。
文脈を見てから反応すればいいのに最後まで読まずセンセーショナルな言葉にだけ敏感らしい。
そんなのはごく一部で99パーセントは好意的に受け止めてくれていたからそれは嬉しかった。
点数を付けて紹介していたAでの失敗を教訓にtwitterでは良い部分だけをクローズアップした。
人は褒められると伸びると信じている、まだまだ知名度のないアーティストが僕に励まされて
狂喜しているツイートをしている姿を見るのは嬉しかった、もっともっと応援したいと思った。
僕の役目は終わったのかな?僕の代わりなんていくらでもいるのかな?僕が明日いなくなっても
世界は何も変わらないし、いつの間にか忘れ去られてしまうのかな?そんなものだと思う。
それでいいんじゃないかな、無名の僕のままでいい、一瞬でも誰かの力になれたのなら。

地上の王国

『Choose My Own.』Screech in2 the Rain. CDS 中古 200円
『Dual×Face(Bタイプ)』∞INFi2TY CDS 中古 200円
『君が世は』メリーバッドエンド CDS 中古 200円
『Paranoid Personality(Bタイプ)』D.I.D.  CDS 未開封 108円
『Paranoid Personality(Dタイプ)』D.I.D.  CDS 未開封 108円

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航星日誌

不思議と9という数字に縁がある、人によっては不吉な数かも知れないけど僕は気に入ってる。
そういえば電話番号にも9が入ってるしメルアドも20年も前から9を入れてる。
10ではなく9、誰しも完全ではないしどこか欠けてて当たり前だから人間なのだと思う。
1989年は音楽を聞き始めた年、1999年は激動の中でインターネットに本格的に進出した年、
2009年は地下活動を終えてtwitterを始めた年、そして心が不安定な中で迎えた2019年が今。
9という数字の年がターニングポイントになっているのは間違いなく今年も何かあるはず。
何かあるというよりはゴールに向かってレールの上を進んでる感覚と言った方が正しいのかも。
もういつ終わっても悔いはない、というのは美談にし過ぎだろうか、そんなに綺麗じゃない。
うんざりすることや辟易することや悲しかったことや悔しかったことが詰まっている。
でもこの数年は殆どボーナストラックのような感覚だし、いつ終わっても不思議ではなかった。
今は振り返る気にもならないが、いつか音楽を聞いていて良かったと思えるかな。
たくさんの出会いと、たくさんの別れと、たくさんの喜びと悲しみがあった年月だった、と。
twitterを教えてくれたのはT掲示板で知り合ったEちゃんだった、家族の仕事の都合で海外に
住んでおり、そこからT掲示板に書き込みをしていた、まだ15歳だったのが信じられない。
帰国したEちゃんも数年で音楽を聞くのをやめたが連絡を続けていてtwiiterに誘われた。
理由は「フォロワーがいないから」、連日のように「早くアカウントを作って」と言われて
かなり長い間断っていたのだが結局僕が折れて適当にアカウントを作ったっていう経緯がある。
僕は受け身で普通に連絡出来るのにEちゃんとリプライをしたり、そんな程度だった。
後期のようなスタイルになったのは数年後でまだtwitterのUIも現在と全然違ったし、そもそも
twitterの人口も少なかったからもう少し自由に色々ツイートが出来ていたと思う。
僕は承認欲求がまるでない人間でこのブログでさえ人に知られたくないと思っているほどで
twitterもひっそりとしているつもりであったが自らの意とは裏腹な状態に疲れもあった。
年明けに久々にEちゃんに連絡をしたのだがその時に「twitterは今してなくてやめるかも。
でも当時教えてくれてありがとう。色々思い出が出来たから」と改めてお礼を伝えた。
「ふーん。じゃあ早くLINEやって」とクールな対応であったがそれもEちゃんらしい。
Eちゃんの子供ももう14歳、来年には僕とEちゃんが出会った年齢になる。
まだ小さかったあの子が高校生になるのか、本当に月日の流れの速さを思い知られされる。
早くも一ヶ月が終わる、様々な思いを乗せて時間は進み続ける、向かう先が悲しみだとしても。

航星日誌

00年前半に関西で活動していたAというバンドがあってマイナーながらも音楽的な評価が高く
将来を有望されていたのだが惜しくも短命で活動を終え解散ライブで3曲入りCDを配布した。
そのCDのデッドストックが東京のある店に少量限定で入荷するという情報を得て
勇足でお店に向かったのだが店員さんから「売り切れました」と非情の声が響いた。
更に追い討ちをかけるように「再入荷はありませんッ」と言われ店を出て落胆した。
しばらく落ち込んでから「仕方ない、こういうこともあるさ」と気丈に振る舞い、
せっかく来たからと近隣の中古ショップに入った(旧々Sのこと、ビルの5階にあった)。
まずは新入荷コーナーを見ようと棚をチェックすると身体にイナズマのような電撃が走った。
目の先には何と前述のAバンドの配布CDが整然と並んでるではないか。
すかさず手に取ると未開封で180円...「嘘でしょ」と思わず声が漏れてしまった。
つい先ほど売り切れで落ち込みまくってたCDを正規価格の約10分の1で見つけるって
笑うしかなかったし、少しでもタイミングがズレていたら出会えなかっただろうし幸運だった。
このCDもきっと僕を待っていてくれたんだと思う。
CDそのものが持ち主を選ぶというか、引き寄せてくれるのを感じた。
コレクションというのはひけらかすためでなく、相応しい人が所持するべきだと思っている。
自分より相応しい人がいれば、継承すればいいし、現に僕はそうして人に譲ったものもある。
いずれ僕は死ぬ、その後、積み上げられた膨大なコレクションは一体どうなるのだろう?。
保管には気を使ってはいるが、生きているうちに自然と劣化してしまうかもしれないし、
僕が死んでからも現存するかもしれない、それまでに行き先を考えないとって焦りもある。
人生は意外にも短い、あっという間に30年が過ぎたようにこの先も時間が過ぎていく。
自分がどうあるべきか、痛みを抱えてまでも前に進むのか、勇気ある退陣を選ぶのか。
まだ答えは見えない。

(2018年秋の未投稿ツイートに加筆してブログに掲載)